大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

津地方裁判所四日市支部 昭和58年(ワ)144号 判決 1986年7月01日

原告

増野紫郎

原告

増野幸子

原告両名訴訟代理人弁護士

川嶋冨士雄

被告

吉田興業株式会社

右代表者代表取締役

吉田銑三

右訴訟代理人弁護士

松永辰男

小出正夫

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告増野紫郎に対し金三〇六万八八三〇円、同増野幸子に対し金二六万五八〇〇円及びこれらに対する昭和五八年八月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告はビル総合管理等を目的とする株式会社であり、原告らは夫婦で昭和五六年四月二七日被告会社(四日市支店)に入社したものである。

2  原告らは、入社後直ちに、被告が業務委託を受けている水資源開発公団(以下「公団」という)の三重用水建設所水源出張所(以下「出張所」という)の公団建物に住み込み、原告紫郎は右建物の管理、清掃の仕事、原告幸子は昼食の賄いの仕事にそれぞれ就労した。

労働契約上の労働条件は、原告紫郎は給料月額一二万一〇〇〇円、同幸子は給料月額八万三八〇〇円で、賞与は年間各三か月分であった。その後、原告紫郎は昇給し、昭和五七年四月から月額一二万六〇八八円、同五八年四月から月額一三万一九八三円となっている。

3  原告紫郎は、勤務時間が午前八時から午後五時までであるのに、就労後は、公団職員の執務が円滑になされるため午前六時ころから清掃、管理の仕事を開始し、昼間は出張所建物内外の警備、監視、来訪者の応待等の作業をなし、夕方は公団職員が全員帰るのを待って、戸締り、火元の点検、各所の閉門施錠をなし、降旗をもって一日の作業を終えるのは午後八時ころであった。

4  また、原告紫郎は、日曜・祝祭日にも、管理、警備、監視、電話の取次等が必要であり、被告が代替要員の派遣をしないので、就労後一年余りは年中無休の状態で勤務した。

5  そこで、被告は、原告紫郎に対して時間外手当、公休日出勤手当を支払うべきであるのに、その支払いをしない。また賞与についても、原告らに契約どおりの支払いがなされていない。

原告らに対する未払金は次のとおりであり、その詳細は別紙計算書記載のとおりである。

(一) 原告紫郎に対する未払金

(1) 公休日出勤手当 金八〇万〇三三四円

右の附加金 金八〇万〇三三四円

(2) 時間外勤務手当 金四七万三五一〇円

右の附加金 金四七万三五一〇円

(3) 賞与未払金 金五二万一一四二円

右合計 金三〇六万八八三〇円

(二) 原告幸子に対する未払金

賞与未払金 金二六万五八〇〇円

6  よって、原告増野紫郎は被告に対し金三〇六万八八三〇円、原告増野幸子は被告に対し金二六万五八〇〇円、及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年八月一九日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第一項の事実は認める。

2  同第二項の事実のうち、原告らの仕事の内容と賞与の点を争い、その余の事実は認める。

仕事の内容は、原告ら共通であり、管理・清掃・賄いの仕事である。

3  同第三項の事実のうち、原告紫郎の勤務時間が午前八時から午後五時までであることは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同第四、五項の事実は否認する。

三  被告の主張

1  原告らの職務は、両名共、出張所に寝泊りして、同所の清掃と公団職員の昼食の賄いを中心としたいわゆる管理人業務であって、労働密度の極めて薄い、精神的緊張も全く伴わない非常に軽易な労務である。清掃というのは出張所建物内の各部屋と建物周囲の草取りくらいのものである。その賄いに関する仕事については、同出張所に勤務してくる公団職員は四名ないし七名にすぎず、原告幸子一人で後片付けをも含めて午後三時三〇分ころには終了してしまう程度のものである。ほかには具体的労働性を伴うような管理業務はほとんど存在しない実情であった。

原告紫郎は、昼間は出張所の建物内外の警備、監視、来訪者の応対をした旨主張するが、このような事実はなく、そもそも出張所の建物内外の警備、監視など、被告が公団から請負った業務委託の範囲にすら入っておらず、従ってそれを原告に指示するはずがない。また同原告は、夕方は公団職員が全員帰るのを待って戸締り、火元の点検、各所の閉門施錠、降旗をした旨主張するが、これらは、極まれに同原告がしたことがあったかもしれないが、もともとは公団職員が日常の職務行為の一環としてごく通常にしていたことである。

2  原告らの勤務時間は、日曜・祝祭日を除いて、午前八時から午後五時までである。そして、原告らの現実の勤務も右のとおりであったと思われる。原告紫郎は、午前六時から清掃、管理をした旨主張するが、そのような必要性もなければ、また被告会社からの指示もない。もとより、原告らの職務は極めて軽易な労務であるから、同原告が勤務時間内よりも時間外にしたいと思えば、それは同人の自由意思によってなし得ることであり、もしそうしたというのであれば、それはもはや労働条件云々の問題ではない。また同原告は、火元の点検、各所の閉門施錠、降旗を終えると午後八時であった旨主張するが、このような事実はない。仮に何かの都合で極まれに同原告がしたことがあったとしても、公団職員は夕方五時には退庁するはずであり、右の各作業などその退庁とほぼ同時になし得ることである。仮にまれに残業があったとしても、右戸締りなどは当該職員の帰る際の一箇所だけでよいし、火元の点検も、同人が仮に使用しておればその灰皿を片付けるのみであり、各所の閉門施錠、降旗などは夕方五時にしておけばよいことである。

このように、右原告の労務は所定の勤務時間内に十二分に処理し切れるものであり、時間外勤務の必要性は全くないのであるが、仮に稀有な場合として時間外に労務を提供したことがあったとしても、それは労働密度の極めて薄い精神的緊張も全く伴わない軽易な労務であるうえ、一日の労働時間が所定の労働時間を超えるようなことはないのであるから、それに対する時間外手当の必要はないというべきである。

なお、原告幸子は、被告会社に勤務するかたわら、四日市市内においてキャバレーにも勤務していた。右勤務時間は午後六時から翌朝午前零時までであるが、その出勤のためには、出張所を遅くとも午後四時三〇分には出なければならない。同原告の行為は明らかに被告会社の就業規則に違反するものである。

3  原告らには日曜・祝祭日が休日として与えられていた。原告紫郎は、日曜・祝祭日にも管理等の労働をしており年中無休の状態であった旨主張するが、そのような事実は全くない。公団から被告に対して休日の業務の依頼があった訳ではないから、当然、被告も原告に対して業務命令を出してはいなかったし、そもそも休日に、同原告が行うような業務自体存しないものである。

4  原告らは、賞与は年間各三か月分の契約であった旨主張するが、そのような事実もない。およそ賞与というものは、当該決算期毎における会社の業績や各労働者の功労等によって具体的事情に合わせて決定される筋合のものであり、常時一定しているという性質のものではない。また、被告会社の定める賃金支給規定にも、賞与の支給基準についてはその都度定めると規定し、一定額ないし一定率の定めはない。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  原告らは職業安定所の求人広告により、被告会社に入社した。その求人広告の労働条件は、(一)就業時間午前八時~午後五時(土曜午後二時)、(二)休日日曜、祝日、(三)賞与年二回(年三か月分)、となっていたため、原告らは被告との間で右と同内容の契約をしたものである。

2  原告らの労働内容は、清掃業務、賄業務、管理業務であり、特に管理業務は、(一)事務所の火気取締り及び防犯、(二)職員退庁後の郵便物の受領及び電話受信連絡、(三)緊急の場合の処理と連絡、(四)冷暖房期間中における冷暖房の準備及び職員退庁後の停止、(五)休日における施設見学者等の対応、電話貸与の便宜、である。

右業務内容の意味するものは、労働時間が午前八時から午後五時と決まっていながら、公団職員の出勤前に清掃し、退庁後にも清掃することにより、公団職員の出勤が八時であるので午前六時ないし七時から清掃を始めることになり、また公団職員の退庁が午後五時あるいは残業の場合午後六時ないし七時になるとその後に清掃することになり、労働時間は大巾に超過勤務となる。

また、休日の電話の受信連絡、郵便物の受領、あるいは見学者等の応待等があり、原告紫郎は休日でも勤務しなければならない。

従って、原告らの職務は、被告が主張するような労働密度の極めて薄い、精神的緊張も全く伴わない軽易な労務であるとは到底いえないものである。かえって、原告らは被告により、一日二四時間、身体を拘束されながらの勤務といっても過言ではなく、非常に大切な業務にほかならない。被告の主張は、管理人業務というものが多岐にわたり、かつ目に見えない精神的かつ肉体的な労働であることを理解しないものである。また被告は、原告らに対して時間外勤務を命じたことはないと主張するが、それは原告らの労働の実体を無視した空論であるといわねばならない。

なお、被告は、原告らについて労働基準法四一条三号の規定による労働基準局の許可を受けていないものである。

4  原告らに対する被告からの給料があまりにも薄給であるため、原告幸子において夜間四日市市内のキャバレーのフロント係の勤務を継続していたことは被告会社も認めていたところであるが、原告幸子は昼食の賄業務のために採用されているのであって、その業務に支障は全くなかったものである。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因第一、二項の事実(但し、原告らの仕事内容の個別性及び賞与の点を除く。)及び原告紫郎の勤務時間が午前八時から午後五時までであったことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告紫郎が時間外勤務を、原告らが休日勤務をなしたか否かについて検討するに、右当事者間に争いない事実、(証拠略)、原告増野紫郎、同幸子各本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告は、建築物の清掃、衛生管理、警備保障、管工事等のビル総合管理等を目的とし、名古屋市に本店を有する従業員約六〇〇名の株式会社であり、労働組合はない。

2  原告紫郎(大正一一年一一月一四日生)、同幸子(昭和五年一〇月一六日生)夫婦は、職業安定所で寮の賄給食兼管理人(夫婦)を求める被告の求人票を見て、昭和五六年四月二七日被告会社四日市支店に入社した。そして、原告らは同日より、被告が業務委託を受けている水資源開発公団の三重用水(通称下里ダム)建設所水源出張所の建物(管理棟)に住み込み、賄い、清掃等の管理人業務に従事した。

3  右出張所の建物は、コンクリート造り二階建で、正面約二一メートル、奥行き約一一メートルの広さがあり、一階に会議室、機械室、休憩室、食堂、用務員室等、二階に事務室、資料室、通信機室、操作室等がある。右出張所には公団職員五名ないし九名(昭和五六年当時九名、同五七年より七名、同五八年より五名)が午前八時三〇分ころから午後五時ころまで勤務していた。

4  原告らの職務内容は、被告が公団より業務委託を受けた内容とほぼ同様であり、原告ら共に、出張所の建物とその敷地の清掃業務、管理業務及び公団職員の昼食賄い、給茶の準備である。しかし、実際には、原告幸子が主として賄業務及び食堂、便所等一部清掃業務を分担し、原告紫郎がその他の清掃業務及び管理業務を行っていた。

5  原告らの勤務時間の契約は午前八時から午後五時までであり、日曜、祝祭日及び年末年始は休日であった。しかし、原告紫郎は右出張所を終生の職場と決意し、完璧な管理人でありたいとの考えの下に、朝は七時ころ、時には六時ないし六時三〇分ころから右建物内の清掃(掃除に要する時間は、原告紫郎において一時間三〇分位、原告幸子において三、四〇分位である)、管理の仕事を開始し、昼間は建物内外の監視、敷地の清掃、植込みの手入れ等の業務を、夜は戸締り、巡視等の管理業務を遅くまでなし、日曜・祝祭日においても水槽の清掃(年間四回位)、床の油拭き(一か月か二か月に一回)、草刈り、見学者・ハイキングに来た人の監視等をなし、さらにはダムの水位の監視等まで自発的にしていた。

出張所における原告らの勤務状況等の管理・監督については、被告はこれを原告らの良心・自主性に委ね、公団より苦情のない限り特に原告らを監督することはしておらず(昭和五八年四月から、ようやく簡単な委託業務履行簿、業務日誌を付け始めたものである)、一方、原告紫郎も他人から指図されたくない気持ちが強く、自己の職場は二四時間勤務、年中無休であるとの考えの下に、自分の方から求めて積極的に仕事をしていたものである。

6  原告幸子は、公団職員の昼食の賄いが主な仕事であったが、以前から勤めていた四日市市内のキャバレーの会計事務の仕事(午後六時から一二時まで)を続けるため、午後四時三〇分ころから出張所の建物を出、翌午前一時ころ帰宅していた。原告幸子の右キャバレーへの勤務は、その後任者が決まるまでの暫定的なものということであったが、被告の勧告にもかかわらず、その後も原告らの後記退職時まで継続されていた。

7  原告らの給与は、原告紫郎が当初一二万一〇〇〇円(住宅手当四〇〇〇円、以下同じ)、昭和五七年四月から一二万六〇八八円、同五八年四月から一三万一九八三円であり、原告幸子が当初八万三八〇〇円、同五七年四月から九万〇〇九〇円である。また、支給された賞与は、昭和五六年七月各一万円、同年一二月各七万五〇〇〇円、同五七年六月各六万二〇〇〇円であり、同五八年六月末までに各合計二三万七〇〇〇円が支払われた。

8  昭和五七年五月ころから原告らと被告との間で時間外勤務手当をめぐって紛争が起り、被告は同年七月一二日付内容証明郵便をもって原告らを同年八月一八日限り解雇する旨通告したが、原告らは同年九月一七日地位保全の仮処分決定を得て、そのまま継続して勤務した。しかし、被告は公団から昭和五八年六月末限りで業務委託を解約され、同時に原告らは被告会社を任意退職した。

9  公団は昭和五八年七月以降、出張所の清掃・賄い・管理業務につき、常雇一名(勤務時間七時間三〇分)、パート一名(勤務時間四時間)を時間外・休日勤務なしの条件で、他に委託している。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  右認定事実によれば、原告らの職務内容は、共に出張所の建物に住み込んで、同所の清掃、管理と出勤してくる一〇名弱の公団職員の昼食の賄いを中心とした通常の管理人業務であって、労働密度の極めて薄い、精神的緊張もあまり伴わない軽易な労働であるということができ(原告紫郎もその本人尋問において、「過重な労働と思ったことはない」旨供述している)、被告との間で契約された午前八時から午後五時までの勤務時間内に十分為し遂げられる程度のものであると認められる。しかし、原告紫郎は、現実に、その清掃・管理業務を午前六時ころから夜間遅くまで行っていたことが認められるのであるが、もともと原告らの職務のうち時間的制約の存するのは昼食の賄い、給茶の準備位であって、他の清掃・管理業務については時間的制約の少ない仕事であり、これを何時どのようにするかは原告らの自主的判断に委ねられていたものであるため、原告紫郎自身の希望・判断により右勤務時間外にこれを実施していたものであることが認められる。従って、原告紫郎のなした仕事のうち午前八時以前及び午後五時以降の分は被告の個別的あるいは包括的な業務命令に基づく時間外勤務ということができないものである。もっとも、時には、右勤務時間以外に掛かってくる電話や来訪者に対する応待もあり(しかし、これらが月間数回以上あったとの証拠はない)、夜間の防犯・防火の点検も存したことが窺えるけれども、これらのことは一般に自宅に居住している者であっても当然あり得ることであり、そのために特別の待機時間を必要とする訳ではなく、またその内容も短時間、軽易であって具体的労働性に欠けるものとみるのが相当である。まれに公団職員が残業した場合であっても、同所に居住している原告らにとっては、そのことによる職務の増加は右と同様にみることができる。

従って、原告紫郎は昭和五六年四月二七日から同五八年六月二五日までの間合計六一〇時間の時間外勤務をなした旨主張しているけれども、同原告の右勤務はいずれも被告の業務命令に基づくものということはできず、また具体的労働性に欠ける内容程度の事柄とその待機時間をもって勤務時間とするに過ぎないものであって、所定の給与以外に賃金を請求し得べき時間外労働ということができないものであるから、右主張は理由がない。

また、原告紫郎は休日であるべき日曜・祝祭日にも、昭和五六年四月から同五八年六月までの間に合計一二九日間勤務した旨主張する。しかし、前記認定事実によれば、これもまた右時間外勤務の場合とほぼ同様であって、被告の個別的あるいは包括的な業務命令に基づく勤務とは到底認め難いものである。原告紫郎は、被告会社四日市支店長太田真平らから、「日曜、祝日は働かなくてもよい」旨言われていた(同人の証言)のに、自ら完璧な管理人たらんことを求めて、休日においても自発的に清掃、管理等の業務に従事し、外出を慎しんでいたものであって、これらは被告に対して賃金を請求し得べき休日労働ということができないものであるから、右主張も理由がないといわざるをえない。

四  次に、原告らは、被告が原告らに対して年間三か月分の賞与を支給する旨契約したと主張し、原告ら各本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分がある。

しかしながら、もともと賞与は当該決算期毎における会社の業績や各労働者の勤務状況等により具体的事情に合わせて決定される筋合いのものであるところ、原告らの指摘する職業安定所における被告の求人票(《証拠略》)の賞与欄にも「(前年度実績)年二回(年三月分)」と記載され、それが前年度実績に過ぎないことが明示されているものであること及び(人証略)に照らすと、右原告らの各供述部分はにわかに措信することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠は存しない。

従って、原告らの右主張も理由がない。

五  以上の次第であって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 窪田季夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例